CSHL Genome Engineering: CRISPR Frontiers 2021.
マサチューセッツ工科大学/ブロード研究所
相田知海
毎年、インパクトの大きい最新成果が発表され、ゲノム編集業界では最重要学会のCold Spring Harbor Laboratory (CSHL) Genome Engineering。昨年に続いて2021年もバーチャル開催、昼夜逆転とはなるものの、日本からも気軽に参加できるようになった。ここではミーティング以降に論文が発表された話を中心に、アメリカの業界トレンドをお伝えする。なお現在は終了しているが、オンデマンドでのミーティング動画視聴も可能であった。
(文中敬称略)
新技術
さて時代はゲノム編集2.0である。初期のゲノム編集がCas9の誘導するDNA二本鎖切断(DSB)を起点として細胞自体のnon-homologous end-joining (NHEJ)またはhomology-directed repair (HDR)経路に依存した予測及び制御不能の編集であったのに対して、ゲノム編集2.0はCasを標的ゲノム部位への集積プラットフォームとして転用、Casに融合した特定の酵素が特定の編集を予測及び制御可能な形で実行する(ゲノム編集2.0の詳細は拙著[引用文献1]を参照されたい。なおネット上には某企業の類似のレポートが出回っているが我々とは無関係である)。ゲノム編集2.0の代表例に塩基編集とプライム編集が挙げられる。
今年のCSHLはオーガナイザーの一人David Liu (ブロード研/ハーバード大)を中心としたプライム編集祭りと言って差し支えない。LiuラボからはpegRNAの3’末端にRNAモチーフを加えてpegRNAの安定性とプライム編集効率を高めたepegRNA[引用文献2]とミスマッチ修復系(MMR)の抑制によりプライム編集効率を高めてindelを抑制したメジャーアップデート版のPE4/PE5/PEmax[引用文献3]が発表された。プライム編集におけるMMRの寄与は、同じくオーガナイザーの一人Jonathan Weissmanラボ(今年UCSFからホワイトヘッド研/MITに移籍)から独立したばかりのBritt Adamson(プリンストン大)により同定された。彼女はWeissmanラボが得意とするゲノムワイドCRISPRスクリーニングの中でも DNA修復系に特化したRepair-seq[引用文献4]を武器に、最近存在感を増している若手である(Repair-seqについては後述)。MMR抑制によるプライム編集の高効率化とindel抑制は、CSHL後に複数のグループからも報告が相次ぐ競争が激しいトピックであるものの、網羅的CRISPRスクリーニングによるLiuラボ/Adamsonラボのデータは他を圧倒している。CSHLでの発表は短時間のハイライトであったが、10月に出たCell論文を読むと、MMRの同定から、あらゆる編集パターンへの影響の検討、これらの分子的知見に基づくMMR抑制なしでの効率化実現など、非常に磨き上げられた研究となっており、筆頭著者Peter Chenの実力が光る論文となっている。Jay Shendureラボ(ワシントン大)からはpegRNAペアを用いた正確な大規模欠損誘導法PRIME-Del[引用文献5]、Jia Chenラボ(上海科技大)からはゲノム/トランスクリプトームワイドでプライム編集-のオフターゲット編集未検出[引用文献6]、Gerald Schwankラボ(チューリッヒ大)からはin vivoプライム編集によるフェニルケトン尿症マウスモデル治療[引用文献7]などが発表され、プライム編集がゲノム編集2.0の本命として広がりつつあることを強く印象付けた。
ゲノム編集2.0の元祖である塩基編集関連も多く発表された。ABEの開発者で現在はBEAM Therapeuticsの研究開発プログラムを率いるNicole Gaudelliのトークは急遽キャンセル、社長/CSOのGiuseppe Ciaramellaが代わって発表した(後日、彼女の第一子誕生というめでたいニュースが発表され、コミュニティに祝福された)。臨床試験に向けたABEの着実な進展であり、11月8日には鎌状赤血球症に対するIND(治験申請) がFDAに承認され、いよいよ治験開始まで来た。ハーバード大のGeorge Churchラボ時代にヒト細胞初のCRISPRゲノム編集Science論文を発表したPrashant Mali(UCSD)は、近年力をいれるRNA塩基編集を発表、環状化ガイドRNAを用いることで、in vivo RNA塩基編集を高効率化できることを各種マウスモデルで示した[引用文献8]。RNA塩基編集酵素(例えばCas13-ADAR)の過剰発現によるガイドRNA非依存オフターゲット編集を避けるため、外部からはガイドRNAのみをデリバリー、酵素は内在性ADARを転用するため、臨床展開にも有用と思われる。この辺りの歴史的経緯は拙著に詳しい[引用文献1]。
DSB非依存の長鎖DNAノックインは、ゲノム編集2.0ムーブメントの中でも未だ達成されていない最後のミッシングピースである。Feng Zhang(ブロード研/MIT)とSam Sternberg(コロンビア大)によるCasposonを用いた外来DNAの挿入は重要なマイルストーンであるが、未だにヒト細胞での成功は報告されておらず、また挿入部位にトランスポゾンの痕跡が残るため、DSB依存HDRを完全に置き換えるところまで達していない。ごく最近、プライム編集と部位特異的DNA組換え酵素を組み合わせた長鎖DNAノックイン手法が哺乳類細胞で相次いで発表されている。Feng Zhangラボ出身でRNA編集を開拓してきたOmar AbudayyehとJonathan Gootenberg(MIT)が11月1日にPASTE[引用文献9]を、翌日にはDavid LiuがtwinPE[引用文献10,11]を、そして同じ週にはFeng Zhangラボ出身のPatrick Hsu(UCバークレー)が部位特異的DNA組換え酵素の大規模マイニング[引用文献12]を発表し、激しい競争になっている。この業界のトップランナー達が交差点を挟んで繰り広げる夜を徹した先陣争いは、まさにボストンの競争力の源泉であろう。プライム編集と部位特異的DNA組換え酵素のコンボはゲノム編集2.0による哺乳類細胞での長鎖DNAノックインを実現したが、依然として部位特異的DNA組換え酵素は挿入部位に”landing pad”(特異的な配列)を要求するため、Casposon同様、DSB依存HDRを完全に置き換えるところまで現時点では達していない。Cre、GFPなどの外来遺伝子を挿入する場合にはlanding padは問題にならないが、内在性配列をクリーンに置換する場合(エクソンのヒト化など)にはまだ不完全である。この欠点を克服する可能性がある手法がCSHLで発表された。Feng Zhangラボ時代に同じくヒト細胞初のCRISPRゲノム編集Science論文を発表したLe Cong(スタンフォード大)は、その後長くゲノム編集の目立った論文がなかったが、今回、一本鎖DNAアニーリングタンパクを用いたゲノム編集2.0による長鎖DNAノックイン[引用文献13]で業界に帰ってきた。CSHLの報告では先行して発表された論文からかなり進展があり、新たな論文の発表が待ち遠しい。
CRISPR生物学とDNA修復
CRISPR生物学の中での注目は、Luciano Marraffiniラボ(ロックフェラー大)出身のJoshua Modell(ジョンズホプキンス大)による、天然single-guide RNA(sgRNA)の発見とそのCas9の発現制御である[引用文献14]。周知のようにStreptococcus pyogenes Cas9のガイドRNAはtracrRNAとcrRNAから成り、Jennifer Doudnaらがこれらを連結したsgRNAを発明した。ところが、なんとStreptococcus pyogenesが発現する長鎖tracrRNA(tracr-L)はsgRNA様の構造を取り、天然sgRNAとして働くという。その標的は自身のCas9プロモーターであり、Cas9発現を自己制御することにより、外来DNAに対する獲得免疫と自己免疫による毒性のバランスを取っているという。なんとも美しい自然のメカニズムではないか。橋本一憲弁理士(セントクレスト国際特許事務所)によれば、米国では天然物は特許保護の対象外であるため、Jennifer Doudnaらカリフォルニア大のCRISPR基本特許群において、sgRNA自体を広く概念的にクレームした場合には、天然物と区別できないとしてその有効性が問われる可能性があろう。とはいえ、カリフォルニア大のCRISPR基本特許群には様々な権利請求が含まれており、パテントポートフォリオ全体への影響は少ないと考えられる。余談であるが、Feng Zhang一派は長くCSHLに参加しておらず、彼らのCRISPR生物学に基づく革新的なツール開発、CAST[引用文献15]やOMEGA[引用文献16]、そしてOmar AbudayyehとJonathan GootenbergによるCas7-11[引用文献17]を聞く事ができないのはこの業界の大きな損失であろう。CRISPR特許紛争が生み出した分断は大きい。
DNA修復ではCRISPRスクリーニングの活用が目立つ。上述のBritt Adamsonは、Repair-seq(DNA修復関連476遺伝子を標的としたCRISPRiのsgRNAとゲノム編集する標的配列がカップルしたライブラリを用いる事で、標的のゲノム編集結果とsgRNAを同時にシークエンスして、ノックダウンしたDNA修復因子とゲノム編集結果の因果関係を調べる手法)を用いて、DSB[引用文献4]、塩基編集[引用文献18]、プライム編集[引用文献3]のDNA修復分子基盤を明らかにすると共に、各ツールの改良に大きく貢献した。いやツール改良は応用例に過ぎない、Repair-seqによる網羅的解析は、DSBの修復パターンごとにその基盤になるDSB修復分子経路を全て定量的に明らかにしたと言っても過言ではない、この分野の金字塔となる超大作である。このDSB修復分子カタログからは、DSBにより表面上同一の編集が誘導された場合でも、そこに到るDSB修復経路は複数存在することが明らかにされている。例えばNHEJによる挿入変異は3つの経路に分類され、おなじみのKu70/80とDNA-PKcsが各々の経路を促進または抑制するという複雑な結果が、挿入配列の特徴(DSBのPAM遠位配列の複製)と共に示されている。NHEJによる修復がランダムなindelではないことはこれまでの大規模解析で良く知られているが、ここに網羅的な分子経路が加わった事で、DSB修復研究は新たな段階に入った。濡木理と西増弘志(東京大)がCas9の機構を原子レベルで明らかにしたように[引用文献19]、Repair-seqにはDSB修復を丸裸にした、ある種の構造解析的衝撃を受ける。様々なDNA修復パターンについて詳しく調べられているのでぜひ論文を読んで欲しい。読めば読むほど味わい深い。Repair-seqの結果は、DSB修復が関わるあらゆる分野の研究、ツール、そして治療法開発を大きく発展させるであろう。
Alberto Ciccia(コロンビア大)はDNA damage response(DDR)経路に関わる86の遺伝子を標的とした飽和CRISPR塩基編集スクリーニングを行い、DDR遺伝子群の多様なGain-, Loss-, Separation-of-Function変異を明らかにした[引用文献20]。従来のCRISPR KO/i/aスクリーニングが遺伝子の欠損・発現抑制・発現活性化により、任意の生物学的現象における遺伝子そのものの寄与を調べるのに対して、塩基編集スクリーニングは多様な変異体を作出する事で、対象とする生物学的現象における標的遺伝子のアミノ酸レベルでの詳細な機能情報を得る事が可能である。生化学に基づく伝統的なDNA修復研究では、Lee Zhou(マサチューセッツ総合病院)がRNA転写産物がDSBにおいて、ドナーDNAとのハイブリッドDR-loopを形成し、相同組換えを促進する事を示した[引用文献21]。DSB修復一つ取ってもまだまだ分かっていない事は多く、新技術の導入によりその理解が飛躍的に進みつつある。
スクリーニング
これまで細胞増殖あるいは薬剤耐性を指標にがん研究に革命を起こしてきたCRISPRスクリーニングはその対象とインパクトをあらゆる生物学に広げている。上述のRepair-seqに加え、細胞間相互作用は一つのトレンドである。single-cell RNA-seq(scRNA-seq)の女王 Aviv Regev(Genentechの研究部門を率いる上級副社長およびRoche取締役、ブロード研からの移籍は2020年のボストンバイオ業界10大ニュース)はPerturb-seq(scRNA-seqを読み出しとしたCRISPRスクリーニング)にエピトープを加えたPerturb-CITE-seq[引用文献22]を用いて、がん免疫相互作用のスクリーニングを示した。Jonathan Weissmanラボ出身のMichael Bassik(スタンフォード大)も、がん細胞とマクロファージで各々CRISPRノックアウトおよび活性化スクリーニングを行う事で、がん免疫相互作用因子の同定に成功した[引用文献23]。何より聞くだけでゾクゾクするタイトルがいい。”Inter-cellular CRISPR screens”、応用は広そうだ。そのうちテスラ/スペースXのElon Musk が、”Interstellar CRSIPR screens”で火星適応遺伝子を発表する日が来るかもしれない。Feng Zhangラボ出身でCRISPRスクリーニングパイオニアの一人、Neville Sanjana(ニューヨークゲノムセンター)は、CRISPRスクリーニングでCOVID19感染の標的分子群を同定した[引用文献24]。感染症を対象としたCRISPRスクリーニングは次々に大きな成果を挙げており、この技術の幅広い可能性を示す好例である。
in vivo CRISPRスクリーニングも大きな進展を遂げている。従来のin vivo CRISPRスクリーニングは、ex vivoでCas9とゲノムワイドsgRNAライブラリを導入したがん細胞をマウスに移植し、in vivoで選択圧(例えばがん転移)をかけるか、あるいは筆者を含むMITとブロード研が開発してきた数十遺伝子を標的とした小規模sgRNAライブラリをウイルスベクターでマウス脳に導入してin vivoで一細胞レベルの表現型[引用文献25]あるいはトランスクリプトーム[引用文献26]を計測するものであった(Myriam Heiman(MIT/ブロード研)はゲノムワイド[引用文献27]でスクリーニングしたものの、多数のマウスを用いた力技であり、生物学的にも大発見とはならなかった)。今回、Kristin Knouse(ホワイトヘッド研/MIT)は72,000 sgRNAライブラリをウイルスベクターで肝臓に直接導入する事で、真のin vivo ゲノムワイドCRISPRスクリーニングを実現した[引用文献28]。わずか1匹のマウスで200x coverageのゲノムワイドCRISPRスクリーニングが可能になり、培養細胞では発見されなかったin vivo固有の肝細胞発生/生存に必要な遺伝子シグネチャーが同定された。ついにCRISPRスクリーニングがこのレベルに達したかと感慨深い。生物学研究を大きく変革するかもしれない。ただしCRISPRスクリーニングの基本原理である1細胞1sgRNAルールがin vivoで本当に保証されているかは微妙で(本人はMOI=2と言っていた)、今後更なる改良が必要と思われる。
もう一つのin vivo CRISPRスクリーニングのトピックは、Randall Petersonラボ(ユタ大)によるゼブラフィッシュでの大規模CRISPRスクリーニング手法MIC-Drop[引用文献29]である。マイクロ流路を用いて単一のsgRNAとCas9タンパクとバーコードオリゴをオイルドロップレットに封入した多数のsgRNAライブラリを作製、これをゼブラフィッシュ受精卵にインジェクションする事で、心臓発生を対象とした188遺伝子の大規模in vivo CRISPRスクリーニングを実現した。このマイクロ流路でsgRNAライブラリを作製するアイデアに筆者はその手があったかと膝を打ったが、よくよく冷静に考えるとsgRNA自体は一つつずつ自作、ドロップレットも一つずつ受精卵にインジェクションする必要があり、188遺伝子を一つずつin vivoスクリーニングした事以外に何が新しいのかと疑問になる。実際、従来の一遺伝子ずつインジェクションする手法に比べてMIC-Dropは何が新しいのかとの質問に、筆頭著者のSaba Parvezは、インジェクションニードルが1本で済む事「だけ」、と正直に答えていた。確かにインジェクションニードルを1日に188回交換したくはないが、実際には3000個の受精卵へのインジェクションは10日程かけて行われており、1日辺りのニードル交換数は不可能な数ではない。そうするとインジェクションニードルが1本で済む事「だけ」でScienceに出るのかと言う話である(論文もエディターコメントも技術を中心に据えているので心臓発生だけでは掲載には不十分であろう)。筆者が思うに、これはレコードやCDで言うところのジャケ買い(実際の音楽を聞く事なくジャケットのデザインだけで購入する事)ではなかろうか。色とりどりのオイルドロップレットが充填されたインジェクションニードルは芸術的に美しい[引用文献29]。
参照:CRISPRオイルドロップレットが充填されたMIC-Dropインジェクションニードル
https://healthcare.utah.edu/publicaffairs/news/2021/08/mic-drop.php
どうだろうか、これを見せられて興奮しないエディターやレビューワーはいないであろう。さらにこの”CRISPRドロップレット”が一粒ずつ受精卵にインジェクションされていく動画までついており、文字通りMic-Drop(大盛況のパフォーマンスやスピーチの最後にマイクを投げ捨てる事、(これ以上誰も話す必要ないぐらい)どうだ最高だろ!の意味。オバマ大統領のスピーチで有名、図1)である。しかし科学的な新手法として見た時には、結局、3000回インジェクションするのかと現場の身としてはがっかりする。どうせなら受精卵もCRISPRと一緒にマイクロ流路に流して、ライブラリ調製から受精卵への導入まで全てオイルドロップレット内で完結してこそMic-Drop、と言うか最初に発表を聞いた時はそう誤解して、これは革命的だと非常に興奮した。筆者がScienceのレビューワーなら必ず要求する。誰かやりませんか?
図1. オバマ大統領(2016年当時)のマイクドロップ(wikipedia より引用
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Barack_Obama_Mic_Drop_2016.jpg)
さて盛り上がってきたのでもう少しスクリーニングの話を続ける(取材協力:渋江司(ブロード研))。CRISPRノックアウトスクリーニングの元祖と言えば、Feng Zhang(ブロード研/MIT)/John Doench(ブロード研)[引用文献30]、Eric Lander(ブロード研)/David Sabatini(ホワイトヘッド研/MIT)[引用文献31]、そして我らが遊佐宏介(サンガー研、現京都大)[引用文献32]である。ここから地球上の全てのがん細胞種をCRISPRスクリーニングする壮大なブロード研のアキレス計画[引用文献33]とサンガー研のスコア計画[引用文献34]が始まった(現在、アキレス計画はブロード研のDepMapに統合され、スコア計画もDepMapと協力)。ブロード研ではJohn Doenchの主宰でCRISPRスクリーニングセミナーシリーズが毎週開催され、ボストン中のCRISPRスクリーナー達が、様々な細胞や動物でのあの手この手のCRISPRスクリーニングを楽しませてくれる。多くはJohn Doenchが率いるGenetic Perturbation Platform(GPP、スクリーニングコア、ただしGPP自身もトップ論文を量産)のユーザーで、GPPがボストンの研究コミュニティに果たす役割は極めて大きい。がん研究とはもはやCRISPRスクリーニングなのではないかと錯覚するほど、ボストン界隈ではFig.1としてCRISPRスクリーニングが標準になっているように感じる。
先日、日本癌学会で講演する機会を頂いたので(座長:鐘巻将人(遺伝研))、その際にCRISPRスクリーニングの演題を探してみた。筆者が要旨検索した限りではポスターがわずかに2件ヒットしただけで、日米の落差に愕然とした(その2件はいずれも筆者前任の東京医科歯科大からであり、CRISPRコアを立ち上げゲノム編集の普及に努めた身として喜ばしい)。これは論文発表状況とも一致しており、筆者の記憶している限り、これまで日本から発表されたCRISPRスクリーニングを用いた論文は片手で数えられるほどしかないはずである。唯一の希望は、スコア計画を率いた遊佐宏介のレクチャー(座長:佐久間哲史(広島大))が設定されていた事である。このスターの日本帰国を活かさぬ手はなかろう。読者の中の偉い方がおられれば、ぜひCRISPRスクリーニングに100億円ぐらいつけて日本のバイオ研究基盤ハブを形成してみませんか?10年後の成果を考えれば十分見合う投資である。既に京都大のウイルス・再生研では共同研究拠点としてCRISPRスクリーニングをサポートしている。「いい表現型とレポーターを持ってたら、何も考えずに是非スクリーニングを使って欲しい」(遊佐宏介)、との事である。遊佐さんへのお問い合わせはk.yusa[at]infront.kyoto-u.ac.jp([at]を@に置換してください)までお気軽にどうぞ(共同研究拠点事業の詳細はhttps://www.infront.kyoto-u.ac.jp/kyoten/)。何度も強調するが、CRISPRスクリーニングはその対象とインパクトをあらゆる生物学に広げている。Don’t think, just doである。2022年は良い表現型とレポーターを持って、そうだ京都、行こう。
とにかくやってみよう、CRISPRスクリーニング
参照:ナイキ社フェイスブックより
https://www.facebook.com/nike.just.do.it.official/)
さて残りのEric LanderとDavid Sabatiniであるが、Landerはブロードを休職し、バイデン内閣で科学技術政策局局長として史上初めて内閣の一員となった(2021年のボストンバイオ業界10大ニュース、後述、図2)。
図2. カマラ副大統領(右)に就任宣誓するランダー科学技術政策局局長(左、2021年6月2日、wikipediaより引用)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Eric_Lander%27s_swearing_in_as_Director_of_the_Office_of_Science_and_Technology_Policy.jpg)
一方のSabatiniは、自身の研究室の女性研究員に対するセクハラでホワイトヘッド研と Howard Hughes Medical Institute(HHMI)をクビになった(2021年のボストンバイオ業界最大の衝撃ニュース)。Sabatiniと言えば、mTOR(mammalian target of rapamycin)の発見者にしてこの分野を開拓してきたノーベル賞候補のスーパースターであり、誰もが絶句する衝撃のニュースであった。ホワイトヘッド研とHHMIがSabatiniを即日クビにしてその存在を直ちに抹消したのに対して、MITはホワイトヘッド研の報告書を精査するとして、Sabatiniの教授職を今のところ保持している。現在のボストンの研究コミュニティにおいてハラスメントや差別は絶対に許容されないものであり、おそらく再起は困難であろう。
疾患治療
上述のBeam、Gerald Schwank、Michael Bassikを除き、面白い発表はなかったので省略。
Jennifer Doudna他
遅ればせながらJennifer DoudnaとEmmanuelle Charpentierの2020年ノーベル化学賞受賞を記念して、Doudnaのキーノートレクチャー、そしてFrances Arnold(指向性分子進化法開発により2018年ノーベル化学賞受賞、2021年よりバイデン政権の一員)との対談が行われた。バイデン政権では、現役科学者、特に女性トップ科学者の登用が目立つ。NASAで長年活躍し、現在はMIT副学長である地球物理学者のMaria Zuberも、Arnold同様に、バイデン政権の一員となっている。この大きな流れは続きそうである。先日、90年代にEric Landerと共にヒトゲノム計画を率いた現NIH所長のFrancis Collinsが所長退任を表明した。そのFrancis Collinsの後任の筆頭候補になんとJennifer Doudnaの名が挙がっているそうである(ただし彼女が医師免許を持たないことが障害になっている)[引用文献35]。個人的には最前線での研究を継続して欲しいところであるが、この10年間、CRISPRゲノム編集の発明と発展を牽引し、特にヒト受精卵でのゲノム編集規制では科学の範疇を越えて世界的な議論をまとめ上げたJennifer Doudnaの卓越したリーダーシップを考えれば、NIH所長として彼女がアメリカの生命科学を新たな段階に引き上げる事も期待できよう。女性のノーベル賞科学者というJennifer Doudnaの背景は、アメリカの科学界が多様性を促進するという強力なメッセージになろう。来年のCSHLミーティングはNIH所長がオーガナイザーかもしれない。
現在のアメリカはサプライチェーンの停滞と猛烈なインフレに見舞われており、アフガニスタンからの衝撃的な米軍敗走、高止まりするパンデミックも加わり、バイデン政権の評判はすこぶる悪い。長い議会停滞の末に史上最大規模となる136兆円インフラ投資法案をまとめあげたものの、その恩恵が広がるまでには時間がかかるであろう(3月の構想時は28兆円程度が研究開発に振り分けられると報道されたが、11月の成立案では不明)。日本では岸田政権で10兆円大学ファンドが立ち上がり、年リターン4.38%を目標として年間最大3000億円を大学に配分すると聞く。日本の科研費総額が2700億円なので研究費倍増という事になろう、なんと素晴らしい政策であろうか。アメリカの大学でも同様の投資が基礎研究を支える重要な基盤になっている。MITは本年なんと55.5%、金額にして90億ドル(1兆円少々、ソニー、ホンダ、三菱UFJ、東芝等、日本トップ5企業の営業利益に匹敵)の歴史的なリターンを叩き出し、業界を騒然とさせた。これに伴い全学生・全教職員の給料アップも実施され皆ハッピーである(インフレ率の方が高いのが残念ではあるが)。英フィナンシャルタイムズの報道によると日本の10兆円大学ファンドの目下の課題は運用担当者の採用で、あまりに報酬が安過ぎて一人も雇用できていないそうである[引用文献36]。世界最大となる6兆円の大学ファンドを運用するハーバード大の運用担当者の年俸は5-10億円程度であるのに対して、10兆円大学ファンドの年俸はその数十分の一以下であり、世界の高度人材市場では見向きもされないようだ。10兆円大学ファンドが年俸100億円ぐらいでMITの資産運用チームを丸ごと引き抜いてはどうだろうか。最良のシナリオでは、科研費総額は現在の10倍以上に膨らみ、博士課程学生は年俸1000万円で進学者殺到、科研費基盤C・萌芽・若手は5000万円に増額で研究者の安定した雇用+研究やり放題、業績を挙げた若手が溢れるPIポストで次々に独立し、30年後にはここからノーベル賞ラッシュ、と夢のような科学技術立国が実現されるであろう。最も保守的なシナリオでも10%前後のリターンは確実で、その場合でも科研費総額は現在の2-3倍の規模となる事が現実的に期待できる。科学も投資も全ては人材である。そう、ヒトに投資を、そして日本のサイエンスにあまねく金の雨を降らせ、遺伝子ドライブのごとく強力なポジティブフィードバックを基礎研究にかけるのだ。(ただしその後の報道[引用文献37]と公開資料[引用文献38]によると、10兆円大学ファンドの運用益配分先はわずか数校の大学に限定され、筆者が想像したような日本の科学研究全体を押し上げる意図は全くなさそうである)
本題に戻る。バイデン政権の目玉の一つが科学に基づく政策で、現役科学者Eric Landerを史上初めて内閣の一員(科学技術大臣相当)として起用した人事はその象徴である。Lander科学技術政策局局長(およびDoudna NIH所長?)には科学研究の更なる推進に加えて、その果実を広くアメリカ国民に還元することが求められている。その最たる例がパンデミックで、いち早く種々のCOVID-19ワクチンを開発したにも関わらず、アメリカでのワクチン完了率は約60%で頭打ちになっており、死者80万人の大台に間も無く達する。しかしその実態は分断であり、筆者在住のマサチューセッツ州を含む北東部の州では軒並み70%を越えているのに対して、南部の州の多くは40%台に留まっている。筆者のラボが入るビルの向かいには、世界を救ったModernaの本社ビルが立つが、その前では毎週のように反ワクチン団体による抗議活動が行われている(図3、近所のファイザー社でも同様)。Lander局長が9月に発表したプランでは、次のパンデミックに備える事が最重要ミッションで、今後10年で7兆円を投じる計画だそうである。早期警戒システム、ゲノム解析と情報共有、大規模qPCR診断、CRISPR迅速診断、mRNAワクチン、治療薬といったウイルスとの次の戦争を戦うサイエンスの武器を準備することはもちろん、思想信条の異なる全てのアメリカ国民にこれらのサイエンスを届け、その生命を守る事がLander局長に課せられた最も重要な使命である。
図3. Moderna本社前(写真右手のビル)での反ワクチン団体による抗議活動。今週はアメリカでも大ヒット中のネットフリックスドラマ「イカゲーム」に扮しての抗議。毎週抗議活動に工夫を凝らしてクスっとさせる辺りはさすがエンターテイメント大国である(筆者撮影)。
取材協力:橋本一憲(セントクレスト国際特許事務所)、渋江司(ブロード研)、遊佐宏介(京都大)。ご意見ご感想はaidat[at]mit.edu([at]を@に置換してください)まで。以下は宣伝です。
ポスドク/上席研究員熱烈募集@MIT
MITマクガヴァン研究所およびブロード研究所スタンリーセンターのGuoping Fengラボでは、遺伝子改変霊長類モデル開発を強力に推進して頂ける、ハードコアなゲノム編集・分子生物学の経験を持つリサーチサイエンティスト(上席研究員)またはポスドクを熱烈募集しております(さらにマウス等動物作製経験があれば最高です)。神経科学のラボですが、神経科学およびサルの経験は必須ではありません。研究費は非常に潤沢で、紳士的で誰にも平等に気遣いするボスの元、オープンでコラボレーティブな非常に自由度の高い環境のビッグラボです。ラボの半数はアジア系で、日本人は2名在籍しています。神経科学の多様なプロジェクトが進行しており、ほとんどはトップジャーナルに掲載されます。ここ3年間の業績は、Cell x2、Nature x6、Nature Neuroscience x5、Neuron x5、他多数などとなっております。テクニシャンの柔軟な配置など研究面のサポートはもちろん、雇用についてもどこよりもcompetitiveなオファーをできると思います。ビザのサポートも万全です。ご興味ある方はお気軽に相田(aidat[at]mit.edu([at]を@に置換してください))までご連絡ください。MITの募集ページは以下の通りです。ご連絡お待ちしております。
https://careers.peopleclick.com/careerscp/client_mit/external/en-us/gateway/viewFromLink.html?jobPostId=21422&localeCode=en-us
in vivoゲノム編集シンポジウム@Neuro2022
2022年6月30日から7月3日まで沖縄で開催されるNeuro2022(神経系3学会合同大会)において、「in vivoゲノム編集が切り開くハイスループット 精神疾患研究 〜系統維持に時間とコストかけていませんか?〜」と題したin vivoゲノム編集のシンポジウムを主催します。筆者を含むボストンのゲノム編集コミュニティが開発してきた脳での様々なin vivoゲノム編集手法とこれらを用いた革命的なハイスループット脳科学研究を世界最高のスピーカー達がお届けします。ぜひ現地またはオンラインでご参加下さい。
https://neuro2022.jnss.org/
引用文献
1. 中出翔太 & 相田知海. ゲノム編集2.0. 医学のあゆみ 第273巻9号 ゲノム編集の未来 (2020).
2. Nelson, J. W. et al. Engineered pegRNAs improve prime editing efficiency. Nat Biotechnol doi:10.1038/s41587-021-01039-7 (2021).
3. Chen, P. J. et al. Enhanced prime editing systems by manipulating cellular determinants of editing outcomes. Cell 184:5635-5652.e29 (2021).
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7. Böck, D. et al. Treatment of a metabolic liver disease by in vivo prime editing in mice. BioRxiv doi:10.1101/2021.08.17.456632(2021).
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